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 購入癖(日本人の消費性向)


 日本にはモノがあふれかえっている。それは必要不必要に関係なくモノを買いたがる日本人の購買欲の強さにある。以前にも書いたが、同じものでもいくつも買い込む、大概は押し入れや物置のコヤシになってしまうのだが。
 私なども一時期、電化製品に凝ったり、文房具に凝ったり、カバンに凝ったりとその例外ではない。今は年のせいか健康器具やメガネに執着している。
 これはどうも日本人の国民性でもあるようで、消費の意識はその時代を反映する。1973年忘れもしないオイルショックの時、トイレットペーパーが一斉に店先から消えた。また東日本大震災の時は単2電池が同様に店頭から消えた。何か大きな社会変化が生じた時、モノを確保するという意識が極めて高いということが読み取れる。
 渋谷重光氏は「国民性からいって『分不相応の消費』熱とでもいったものが根強くあり、そこに節約とか禁欲とかは馴染まない。『贅沢志向の消費性格』もしくは『浪費的な性格』のあることが分かる」と手厳しい。その実例として二つの例を記載し、「これは江戸時代での消費への警告で『分(身分)』 に過ぎた消費はするなということで、石田梅岩(石門心学の祖)は倹約斉家論で「都て(すべて)分に過ぎるには皆奢りなり。個人の財を用いるは、其の財禄の分限に応じて過分の事なかりしば」と質素倹約を旨とすべしと述べている。また貝原益軒『家道訓』では「何事もその格式に違いたる事のなきように・・・」と日々気をつけるべきだと、「無駄遣いをするな」と諌めている。ところが現実はまさにオイルショック騒動の時のように、江戸時代でも西川如見『百姓嚢』で「近代、四民(士農工商)の屋宅・衣服・食膳、甚だ奢れり」と述べるように、人々の生活は幕府の倹約令に反し、浪費的生活が次々と広まっていった。世の中が平和であると人々はいわば「消費の競争」に生きがいを見出していった」と述べている。
 石門心学に詳しい和辻哲郎氏の節を要約すると「四季折々の季節の変化が著しいように、日本人の受容性は調子の早い変化を要求する。これは大陸的落ち着きを持たないとともにはなはだしく活発で、敏感である。活発敏感であるがゆえに、疲れやすく持久性を持たない(飽きっぽい)。その疲れを癒やすため、さらに新しい刺激・気分の転換等の感情の変化によって癒される』これを受けて渋谷氏は「こうした日本の風土性の中で、それが消費性向にも反映され、変化を好み、新しい商品に敏感に反応し、衝動的な購買行動をとりがちである。まだ十分に使える商品を捨てて、新商品に買い替えるという贅沢な消費行動があらわれる。
 また、新奇な商品への関心度の高さは我が国が島国であるため、もともと他国の事物や現象に対する「好奇心」が旺盛だったことに根ざしている。それが我が国の知的水準を高め、生産性や消費力を上昇させる要因ともなった」と述べている。
 これは反面、生活の必要性とは関係なしに、ただ好奇心を満足させるために新奇なモノを購入したりする要因ともなる。そこに浪費が生じる。
 100円ショップやユニクロは庶民の購買意欲を満たしてくれるし、金持ちはブランド品の購入に際限もなく走る。その循環は日本人の心の中に住み着き、飽食の時代の基盤を支えている。


 


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